Communication map - Conceptual

とはいったものの、今から説明することは「その道のプロ」が見ると、違うのでは?ということもあるかもしれません。これは私が過去の上達の推移を自分で思い起こしてこんな感じだった、というものと理解しておいてください。私は言語学者でも英語教育の専門家でもなんでもないただの会社員なものですから。

  • まず下のイメージをご覧ください。あたかもカルト集団のパンフレットにでも出てきそうな図柄になってしまいましたが:


  • 左が我々が日本語を母国語として使う場合です。簡単にどう見るか説明しましょう。communicationには基本的に4つの手段がありますね。聞く・読む・話す・書くです。例えば、聞く場合には声や音というinputを耳から取り込み、それを日本語の語彙や文法に基づいてideaとして理解するわけです(インターフェーススキルというのは後に触れますのでここでは無視)。ideaとはここでは言語に関係のない、考え・理解そのものと思ってください。話すときにはその逆の順序ですね。そして右が英語を母国語とする人が英語でcommunicationを取るときのイメージです。黄色が日本語、青が英語の言語体系(語彙・文法・文化など)と思ってください。
  • さ〜て、次にもっと怪しげなイメージが出てきます。これが私が思う「英語の学習課程にある日本人の英語でのcommunication」です。中級レベルの人だと思ってください:


  • Listeningを例にとって説明しますとこうなります。英語の声や音のinputが入ってきます。耳という器官を使ってそれを脳に取り込みます。このときに単なる音の固まりを、英語として意味のある語彙やフレーズとして認識します。この能力を便宜上、インターフェーススキルと呼びましょう。薄青の部分です。
  • 次にそれらの語彙・フレーズのつながりを、自分の中に習得した英語の語彙・文法・文化のスキルを総動員して頭の中でideaに処理しようとします(青の部分)。ただ、まだ学習課程の中級者である人はどうしても日本語がそこに介在してしまいます(黄色の部分)。Ideaになる前に日本語が介在してしまうのです。
  • 例えば、「I've got to go」といわれれば、native speakerや上級者であれば「Ok. He is leaving now」と分かります。ところが初心者の場合、「え?ガラゴゥ?何?」「あ〜、行かなっくっちゃ、てことね」といったん日本語が介在しがちです。この傾向はinput・outputの内容が複雑になればなるほど、そしてreading・writingではより顕著になるようです。
  • ただ実際には上記のプロセスは一瞬の高速で処理されるものだし、あるいは脳内でパラレルに処理されているのかもしれません。ここでは便宜上、あたかも順序があるように説明しています。
  • それらをふまえて、私は英語学習の過程というのは下の図に示したような推移と取るのでは思っています。変な絵はこれで終わりです:


  • 左が英語学習を初めて間もない初級の人です。英語のinput・outputのためのインターフェーススキルも薄く、英語の言語体系もまだ少ししかありません。そしてideaとの間に日本語の言語体系が大きく介在します。それが上級者になってくると右図のような感じになっていくのではと。日本語が介在する感じがかなり無くなってきます。困ったとき、時折顔を出す程度です。他言語をを学習するというのはcommunicationのプロセスを左の状態から右の状態に持っていくということなのではないでしょうか?
  • 蛇足ですが、通訳・翻訳がただ英語を使うだけとは別のスキルが必要、といったこともこの図を見ると合点がいきます。私がよく同席する上級の通訳さんたちは、一番上の段に載せた日本語(黄色)と英語(青色)を瞬時に使い分けて日本語のinput・output、英語のinput・outputを繰り返しているように見えます。
  • なんだか、学生時代の論文書いてるような気がしてきました。